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2018年11月25日 (日)

100まんびきのねこと1ぴきのねこ

我が家には猫がいます。

道で拾った猫です。

妹と一緒に面接室の契約をして、鍵を受け取り、部屋に行くときに、見つけました。

道端の、それもごみ収集箱の前で、日なたぼっこをしていました。

痩せていて、右目は既になく、左目も白濁していて、風邪もひいているようでした。

しかしその猫は「それが一体どうかしましたか?」とでも言う様子で、日なたで温まっていました。

「変わった子猫だなあ」と思いました。普通、猫は体調が悪いと、どこかに隠れているものです。

他方で、目が悪くて、風邪をひいていると、どのみち命があぶないとも思いました。

帰り道、同じ道を通ると、まだいました。

抱いても、逃げませんでした。

そこで、保護して家に連れてきました。

たったそれだけでした。

一緒にいた業者の人は私たちに「優しいんですね」と言いましたが、この猫に特別優しくしてあげるつもりはありませんでしたし(我が家の猫への対応はわりと淡々としています)、この猫のことをとりたてて可愛そうな子猫とも思いませんでした。

ちょっとばかり変わった子だとは思いましたが。

 

 

さて、その日以来、この猫は家にいます。その足で受診をし、風邪は薬ですぐに治りました。

左目はやはりなくて、右目も白く濁ったままです。でも見えないわけではなく、家の中を飛ぶように走り回ります。何か怖い目にあったのか、抱っこは苦手ですが、家では正体なく熟睡するようになりました。時折フフフンと鳴きながら「遊びましょう」と、誘いに来ます。

クッションに顔をうずめて寝ている姿をみて、家族が「かわいいなあ…」としみじみ言います。この猫は「かわいい猫」になったのです。

 

子どものころ「100まんびきのねこ」という童話を読んだことがあります。

美しい猫を100まんびきならぬ一兆匹の猫を拾ってきたおじいさん。もちろんそんなに多くの猫は飼えません。

「一番美しい猫を飼う」というおばあさんの一言で、誰が一番美しい猫かということで戦いが起こります。

最後に残ったのは、何も言わなかった骨と皮の「みっともない」猫。その猫を飼って世話をしたおじいさんとおばあさんは言います、「一番美しい猫」だと。

どうして、そんな猫をおじいさんとおばあさんが美しいと言うのか、子どもの時の私は判りませんでした。

でも今はわかります。猫が美しいからではなく、その猫との間に関係ができたからこそ、その関係のなかで猫が美しく愛らしく目に映るのだということが。

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